東京地方裁判所 昭和45年(合わ)521号 決定 1971年2月09日
主文
被告人の司法警察員に対する昭和四五年一一月二九日付供述調書についての検察官の証拠調請求を却下する。
理由
一、主文掲記の供述調書(以下、「本件調書」という。)については、検察官により、刑訴法三二二条該当書面として証拠調の請求がされたところ、弁護人は本件調書はその任意性に疑いがあり、証拠能力がない旨主張している。
二、そこで、本件調書に録取された被告人の供述のなされた具体的状況について検討すると、被告人を取り調べ右調書を作成した両角忠男の証人としての供述(以下「両角証言」という。)および被告人の当公判廷における供述によれば、被告人は本件犯行の前日である一一月二八日午前七時ころ起床して以後睡眠をとっていないまま一一月二九日午前零時四五分ころにいたって本件犯行を犯し、その直後現行犯として逮捕されて警視庁浅草警察署に連行され、弁解録取手続を経て着衣等の写真撮影等をうけた後同署付設留置場雑居房に入れられたものの、留置場に関する警視庁の内規によって午前六時には起床させられ、以後横臥を許されることなく房にすわっておるうち、当時同署刑事防犯二課捜査第四係長であった前記両角忠男により午前中から取り調べが開始されたことが認められる。なお、被告人が房に入れられた日時について両角証人は午前四時頃と供述しているのに対し、被告人は午前六時直前と供述しているが、この点につき両角証言をとるとしても、被告人の睡眠可能な時間は約二時間にすぎず、しかもそれは犯行後間もない被告人が興奮していたであろうと思われる時刻であるから、右時刻においても被告人がよく睡眠をとれたとは考えられず、結局、被告人は前日来ほとんど睡眠をとらないまま本件取り調べを受けたものと認められ、しかも両角証言によれば、同証人も、取り調べ当時被告人がこのように睡眠不足の状態にあったことを知っていたことが明らかである。また取り調べの時間について、被告人は、午前八時頃から午後六時頃まで、両角証人は午前一一時頃から午後三時半頃までと供述しており、この点についても両者の供述にはくい違いがあるが、いずれにせよ昼食をはさんで少なくとも四時間半の取り調べがなされたことが明らかである。ところで、被告人は、当公判廷において睡気と疲労のため昼食は全部を食べきれず、また睡気を理由に再度取り調べの中止を訴えたがきき入れてもらえなかったと供述しているところ、前者の点は両角証人もその外形的事実を認めており、また、後者の点についても、同証人は取り調べの中止を訴えられたことはないが、被告人が「眠いな。眠いな。」とひとり言のようにいったことはある旨、被告人の供述と一部符合する証言をしている。
三、以上認定の事実によれば、被告人は前日来ほとんど睡眠をとらず、睡気と疲労がかなり著しい状態で、ひき続き数時間の取り調べをうけたことが明らかであって、このような状況のもとにあっては肉体的、精神的疲労の蓄積によって記憶の再生、表現に支障を来す結果、虚偽の供述が誘発される虞れが大きいというべきである。他方、本件において取調官がこのような状況下において、あえて取り調べを行なわなければならなかった必要性は認められない。両角証人は翌日送検するため当日中に取り調べを終える必要があった旨供述しているけれども、本件において刑訴法二〇三条による検察官への送致は取り調べの翌々日の午前一時頃までにすればよいのであるから、送致のための内部的手続等の時間を考えても、前述したような状況が存する本件においては、被告人の取り調べを翌日にまわす等の配慮がとられてしかるべきであったと思われ、このような配慮をせず、被告人の睡眠不足を知りつつ、しかも被告人が取り調べ中眠いという趣旨の言葉を発していたにもかかわらず、ひき続き数時間の取り調べを行なうということは、被告人の人権を無視した違法な捜査方法であったというべきである。
四、以上を要するに、本件調書は、被告人の人権を無視しかつ虚偽の供述が誘発されるような状況下において作成されたものであるから、その任意性に疑いがあり、証拠能力を欠くものとして、その証拠調請求を却下すべきものである。
(裁判長裁判官 小林充 裁判官 田口祐三 平湯真人)